
あらすじ
J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として40年ぶりに生まれ変わりました。
ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。
雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。
さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。
(白水社より)
感想・レビュー
原題:『The Catcher in the Rye』
1951年に出版されたJ.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、いつか絶対に読んでみたいと思っている本の1冊でした。
個人的にはアメリカの悪い文学というイメージが勝手に先行しているのですが、笑)とりあえずこの機会に読めて良かったです。
少し調べてみたら、当時のカルフォルニア州では、この本の思考、口の悪さや、暴力性、性行為、未成年のタバコ、飲酒など色々問題になった本みたいですね。
本作は世界的に翻訳されている作品ですが、日本では村上春樹氏が翻訳しているものがあるので、また違った意味でも有名ですよね。
そんな本作を読了しての所感としては、純粋に評価するのが難しい作品だなぁと思いました。
ただなんだかんだで、最後までそれなりに読んじゃうような、そんな不思議な力を持った作品でもありましたね。
村上春樹氏が翻訳しているのもあって、途中でこれ村上春樹の作品だろと思うほど、雰囲気は似ているんですよね。
というよりもサリンジャーから影響を受けていたんだなぁ、と今更ながらに感じましたね。
確か昔読んだ村上春樹氏の自伝で、そのような事書いてたような気もしますが、忘れてしまいました。笑
話を戻しまして、本作は日本でいうところの純文学に当てはまるような作品なので、ストーリー性というのは、正直ほとんどないんですよ。
これが日本版だったら「これが新時代の若者か」ってな感じで、芥川賞とか受賞してそうな作品でもあるんですよね。
さて、そんな本作は、17歳で放校になったホールデンが、ニューヨークで過ごした冬の数日間を、特に脈絡もなく語る。
一人称でホールデンの目を通して何を感じていたのか、我々読者も一緒になってその物事や思考を読んでいく。
この作品は、読む人の年齢や、その時の環境で印象が変化していくタイプの作品の典型なのかなとも感じました。
まだ他の人の感想を読んでもないので、ちょっと分かりませんがそれくらい、感性が強く描かれた作品でもあったのかなと。
私はまずこの作品を読み進めるうちに思ったのは、すっごく生意気な子供の話なのかなぁと思ったんですよ。
弱き故の皮肉屋で、相手の気持ちよりとにかく自分の気持ちが先行して、世の中が1番面倒な時期の、ティーンズらしい感情の波があって……
でも読んでいくうちに、少しずつこのホールデンの見える世界が、全く自分とはかけ離れたものではないのではないのかな?と思うようにもなってくるんですよね。
ホールデンが見るこの欺瞞に満ちたインチキな世界や人々に、妹や子供たちの純粋なものを見ると涙を流してしまう、俗世に抵抗を持つ彼の気持ちは特に共感が持てました。
これは日本でいうところの太宰治とかにも通づるものがあるんですが、
たぶん私が10代とか、それこそホールデンと同じ17歳とかでこの本に出会っていたらもっともっと違った読み方をしていた可能性があるんですよね。
残念ながら今の私は、ホールデンや周囲の人物を俯瞰して見てしまっていて、ある意味嫌な大人になってしまったのかもしれませんね。笑
だからと言って、この物語が何か大きく動いて、ハッピーエンドとかバッドエンドとか、エンタメ的な終わり方をした訳ではありません。
ただ学校を退学になって、同級生を挑発して殴られて、学校を去って、電車で同級生の母に変な嘘をついて、変なホテルに止まって、多くの大人たちにからかわれて、騙されて、また殴られて、
家族のことを思い出して、何人かの娘とデートをして苛ついて、お世話になった先生に会いに行ってまた苛ついて、タバコを1日やそこらで3カートンも吸って、年齢確認されてお酒が飲めなくて、
全然眠ならないから、感情がピリピリして、妹に絆されて涙を流して、ただそれだけのこと。
読了後、最初の頁を読み返してみたのですが、そのあとホールデンは療養してどこかに送られているらしいですね。
最後にもまた9月になったら別の学校に戻るなんとか……的なことが書かれていましたがその後どうなったのやら。
まぁ良いんですよ、もうホールデンのことは、そういうお話。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。