
あらすじ
やっぱり本当だった。
いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない。幸福な人生を手に入れられるのは「上級国民」だけだ──。これが現代日本社会を生きる多くのひとたちの本音だというのです。(まえがきより)
バブル崩壊後の平成の労働市場が生み落とした多くの「下級国民」たち。彼らを待ち受けるのは、共同体からも性愛からも排除されるという“残酷な運命”。一方でそれらを独占するのは少数の「上級国民」たちだ。
「上級/下級」の分断は、日本ばかりではない。アメリカのトランプ大統領選出、イギリスのブレグジット(EU離脱)、フランスの黄色ベスト(ジレジョーヌ)デモなど、欧米社会を揺るがす出来事はどれも「下級国民」による「上級国民」への抗議行動だ。
「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流のなかで、世界が総体としてはゆたかになり、ひとびとが全体としては幸福になるのとひきかえに、先進国のマジョリティは「上級国民/下級国民」へと分断されていく──。
ベストセラー『言ってはいけない』シリーズも話題の人気作家・橘玲氏が、世界レベルで現実に進行する分断の正体をあぶり出す。
(小学館より)
感想・レビュー
【AmazonAudible】
橘玲さんは二冊目ですね。
前回は『無理ゲー社会』という本を読みましたが、面白かったので、別の本も気になっていました。
さてそんな本書の内容は、まさにタイトルにもある【上級国民と下級国民】からはじまります。
この言葉は例の池袋事件から急速に広がりましたが、実はもっと前から存在していた実態である、と著者は言います。
確かに、日本では人種差別のような分かりやすい差別はありませんが、「肩書き=身分」という目には見えない差別は職場内でもあります。
他にも年収や学歴偏差値、容姿、男女問題など、広く捉えれば、子供時代から差別意識を無意識に持っているのかもしれませんし、そういう社会構造だと思います。
ただ本当の所、どうなんでしょうね…。
池袋事件はそういう結果になり、また似たような別の事件では下級国民が捕まる、といったケースが本書でも挙げられおりましたが、それって今にはじまった話ではありませんよね。
掘り返したら山程そんなケースってあるんじゃないでしょうか。
被害者の方がいるので、ここで安直なことを言うのは失礼ですからあまり多くを語りませんが、むしろこの2000年の歴史で言えば、もっと露骨に上級階級は優遇されたでしょう。
ただ、現代の21世紀には世界が繋がれるネット環境がある。
皆が平等に結果(情報)が知れる。これが一番大きい要因なんでしょうけど、だからといって、司法はそう簡単には変わらないし、変わっては統治が困難になるのが現実でもある。
とても難しいことですが、一人一人が知ることによって、声をあげていくしかない。でも他人の事柄に関与するということは、年々減っていっている。
リベラルが進むこの世情を鑑みても、プライバシーの確保は第一優先事項であり、気軽に他人の領域には踏み込めない、踏み込んでは無礼だ。というこの観念がまた皮肉にも人と人を遠ざけている、そのように思います。
もちろん現代には現代なりのメリットがありますし、そういう風に多くの人が望んだという言い方は正しくないかもしれませんが、そういう流れに持っていったのも今を生きる人々ですからね。
あとは「非モテ」や「性愛の獲得」などについても書かれており、それらが上級国民と下級国民の意識を作らせている決定的要因かどうかは分かりません。ですがこの様な小さな連鎖は案外馬鹿に出来ないのかもしれない、と本書の内容から感じました。
他にも海外での上級国民と下級国民はどうなのかだったりも書かれていました。
あとはこれは『無理ゲー社会』の方でも書かれていましたが、現代そうなりつつある知識社会化やリベラル(自由)化、グローバル化などが、上級国民と下級国民を押し進めるようになっている。
その理由などの切り口は、とても興味深い内容でした。
上級国民と下級国民の分断の一つにはまず間違いなく「お金」が関与してきますが、それを限りなくなくす一つの手段として「ベーシックインカム」がありますが、やはりことはそう簡単にはいかなそうですね。
私が思うに、こういった上級国民と下級国民というような差別的ワードが存在しない社会って想像出来ないんですけど、もしそうなった世界やそこで生きる人間たちはどんな人種なのか気になりますね。
まぁ統治という概念が存在する限り、構造が平等を作り出すことなんてないんでしょうけど。