あらすじ
極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。
人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。
(新潮社より)
感想・レビュー
個人的にかなり久しぶりのドストエフスキーになるのですが、何年ぶりになるのやら。
月日が流れるのは早いもので、今よりももっと若かりし頃は「罪と罰」を読んだ時に大感銘を受け、その後「カラマーゾフの兄弟」で悶々とした不満を抱いた。
そして今回は妹から借りた本だったので、こうやってまたドストエフスキーの作品を読むのもなにかの縁だなと感じる次第ですね。
この『地下室の手記』は、ドストエフスキーがのちに大作と呼ばれる作品を書く以前の作品でもあり、「ドストエフスキーの全作品を紐解く鍵」とも言われているらしい。
さてさて、そんな感じでまず所感としては、相変わらずのドストエフスキーらしい面倒くささみたいなものがありつつも、最後までクスクス笑いながら読んでしまうくらいには楽しめた作品だったかなぁと。
ざっくりとこの物語は、40代の小官吏(地位の低い役人)男の手記からはじまり、中盤でその男の20代の話が描かれ終わっていくという感じです。
ドストエフスキーは本作を42歳で書いたそうです。
この主人公が本当に情けなくて情けなくて仕方ないですが、当時のソ連(ロシア)社会に生きる一人の感覚は、現代においても通用する感覚ですよね。
この辺りは、別のドストエフスキー作品にも通づるもので流石だなぁと思いつつも、およそ2世紀が経過した今でも、文明社会というのが、いかに似たような環境とそれからくる人間を作り出してしまうのかが伺えます。
おそらく社会に生きる人間誰しもが、部分的にもっている「情けない」部分を包み隠すことなく描かれているのかなと。
まぁ昨今で言うところの「弱者男性」と呼ばれている感じに近しいのかなとも思いました。
あと正直に言うとですね、最初のこじれた40代男の手記を読むのがかなり面倒くさいのです。笑
だって書き出しの一文からこれですからね。(私は結構好きなのですが、笑)
ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。
(地下室の手記より)
あぁ、また面倒くさい物語はじまったぞぉって、笑
でもですね、20代のパートに入ると捲る頁が止まらないくらい面白くなるんですよ。ドストエフスキーってそういう作家なんですよ毎回。
この男の弱さ、貧困さ。それを邪魔する自尊心の高さ、娼婦とのやりとり、女中とのやりとり、全部情けないのですが、でも完全に他人事だとは私は言えない。
この情けなさの正体が20代パートに描かれていて、それが序盤のこじれた地下室の引きこもりにつながる。
読了後に40代パートをぱらぱらと読み返してみると、また色々と見え方が変わって面白い。
当時のロシアでの何々主義とか何々化というのは、私にはよく分かりませんが、日本近代文学においては、特に白樺派辺りが強く影響を受けたとも聞きますし、
やはりいつの時代にも通づるものを描いていたのは確かなんだなぁと、2024年に本作を読んだ人間が思った次第であります。
そして後のドストエフスキー作品に通づるものは、やはり人間の持つ「自尊心」かなと個人的に思いましたね。
他にも色々とあるのでしょうけど、ドストエフスキー作品の登場人物たちは、いつもこの自尊心の高さが色々な感情を困惑させ、問題を起こしてしまうような気もしました。
他にもドストエフスキー作品で読みたいものはあるのですが、またいつか出会るのかな。
その日を心待ちにして過ごしたいと思います。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
大変暑くなって参りましたので、皆さんお気をつけて。