
あらすじ
「役に立つ/立たない」で命を選別できるのか。ナチス安楽死政策を理論的に支えたのが、刑法学者ビンディングと精神科医ホッヘによる共著『生きるに値しない生命の殺害の解禁』(一九二〇年)であった。この本の翻訳に批判的評注を加えて二〇〇一年に刊行されたのが『「生きるに値しない命」とは誰のことか』(窓社)であり、高い評価を得ながら、長らく絶版状態にあった。
原著刊行から一〇〇年、完訳決定版に安楽死についての近年の議論と相模原事件などを踏まえた論評的評注論文を加え、超高齢社会の「命」を問う。
(中央公論新社より)
感想レビュー
タイトルから物騒な言葉が並びますが、ナチス関連からの連動で手にとってみました。
あとこれはたまたまですが、いつものようにBBCニュースを眺めていると「フランス議会、「支援を受けた死」法案を可決 一部条項は合憲性を判断へ」(2026年7月16日現在)という本書にとってタイムリーな記事も見受けられました。
それほどまでに、安楽死という形を求める人は世界に一定数存在しており、特に医療が発達し高齢化していく国で、このような声がよくあがる傾向にあるとか。
それが国家や州として認められているところもあれば、日本などのように認められていない国も多い。
ただこの問題は本当に難しく、どちらにも言い分があり、どちらの言い分も多少は理解出来るということ。
他にも安楽死を利用して、生きる価値のない人間を選別するという行為があったりもする。
そこで出てくるのは、ナチスのT4作戦や、相模原障碍者施設殺傷事件などがあり、これらを顧みながらの考察が書かれていました。
あと個人的に本書を手に取った最大の理由である、当時のドイツの優生思想を加速させたあの有名な「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」が翻訳されていて、それが読めるようになっていて、とても勉強になりました。
そもそも生きるに値しない命とは、どういうことなのか。その背景には様々な思惑がある。
社会的、経済的に価値を生み出せないであるとか、人種的に劣性であるとか、宗教的価値観や、文化的な価値観など、ミクロなものからマクロな考え方までが混在している。
さらに命を終わらせるあたって、優生思想からくるものあれば、利己的な考えに基づいたものがある。
これらに共通するのは、互いに能力主義、能力差別なる意識が根底にあると著書では考察されている。
この能力主義思考は、現代社会の形成において重要であり、文明病とも言える。狩猟採集時代は、もしかたらもっと平等な役割分担思考で人間は活動していたかもしれない。
そもそも人間はいずれ死ぬ。生まれた段階から死に向かっていく。誰もが理解していることであり、誰もが日々生きていく中で忘れたり、死に近づいた時や、不安の中で思い出したりするものだ。
ただそれでも、やはり人はいつか死ぬのだ。
それなのにどうして、自ら死を求める声があがるのか。それは苦しみが、死より怖いからだという。
解禁では、生きるに値しない人間を世話をする家族や施設、国家の負担など、決してあってならないと書かれている。
これは、第一次世界大戦後のドイツ情勢もあってのことだが、現代社会に生きる人間には少なからずこの感情が存在している。役に立つ人間には価値があり、そうでない人間には価値がない。
わかりやすい例が、誰かを称賛するという行為だ。そもそも、その人にとっては当たり前のことをしただけであって、特別なことをしているわけではない。
もちろんこうした称賛には、純粋なる善意から行われていることが多く、素晴らしい文化である。反対に価値のない人間に、称賛されることはないし、批判を浴びせられることもあるだろう。こうして物事に価値がある、ないという思考の延長線上に差別があるのだろうと思う。
時代は変わっていく。日本や高齢化していく国家は、いずれ独身世帯が大半を占めるようになる。
そうなると、看取られ文化は廃れ、新たな老人文化も生まれるだろう。さらにAIが、今よりもさらに身近な存在になっていく。
そういった過程で、人間は再び、死や生に対する考え方を改めていかないといけないだだろう。
この問題に解決はなく、変化していくものなのかもしれないと感じました。
いつまで生きているかわかりませんが、自分が高齢者と認定される時まで生きていたら、また違った見え方や考え方が出来るのかもしれません。
そうしたことを考えるきっかえを、本書は与えてくれました。
簡単な道徳の授業だと思って読んでみるのもありかもしれません。
それでは今日はここまで。最後までお読み頂きありがとうございました。














































