
あらすじ
南ドイツの小さな町。父親や教師の期待を一身に担ったハンス少年は、猛勉強の末、難関の神学校入試にパス。
しかしその厳しい生活に耐えきれず、学業への情熱も失せ、脱走を企てる。
「教育」という名の重圧に押しつぶされてゆく多感な少年の哀しい運命をたどる名作。
(集英社より)
感想・レビュー
どうも、絶賛『夏風邪』こじらせ中の者です。
もう喉が痛くて痛くて、薬局行って喉薬とか、のどスプレーなど色々試しました。
結局ロキソニンが一番効くやん…というのを実感している2023年の夏ではありますが、皆さんいかがお過ごでしょうか。
さて、そんな私事はこの辺で、今日は久しぶりのヘッセですね。
ヘルマン・ヘッセは『デミアン』以来で、個人的にもこの『車輪の下』は、読んでみたかったので、この機会に読めて良かったです。
ではまずいつもの所感としては、やっぱりヘッセは、普遍的な内面世界・精神世界を描くのがすごく上手いなぁと、改めて感じましたね。
個人的にですが、日本の「破滅型純文学」や「私小説」に近い話運びをする小説でもあり、ヘッセの影響も少なからず受けているのかもしれませんね。
なお本作は、自身の体験も交えながら書いた半自伝的小説でもあるらしいです。
では軽く物語を振り返っていきます。
主人公の「ハンス」は、内気な性格で、勉強ができる優等生。
この物語を大雑把に分けると【入学前編】【学生編】【退学後編】と3つに分けられます。
【入学前編】
ハンスが、神学校の入る前の辺りから物語がはじまります。
彼は子供ながらの誘惑にかられながらも、親の強い期待に応える為に、頑張って勉強し、マウルブロン修道院へ入学します。
この休暇期間にハンスは、大好きな釣りを楽しんだりしていましたが、大人に流され、結局勉強三昧の日々を送ります。
ここでハンスが、いかに受動的な少年であるかがわかりました。
【学生編】
続いて、マウルブロン修道院に入学したハンスは、何とか優等生を維持しようと頑張ります。
この『マウルブロン修道院』は、ドイツに存在する世界遺産です。実は個人的にすごく好きな修道院の一つで、昔よくネットや動画で調べていたことがあって、その時に本作の存在も知りました。
話を戻しまして、学生らしい男子校のような日常が描かれていきます。
この学生時代特有の世界の狭さというのは、本当に良くも悪くもありますよね。
しかしハンスは、クラスの不真面目な生徒の「ハイルナー」に影響を受けて、彼は徐々に徐々に競争から落ちていきます。
ハイルナーは、詩人のような芸術家的感性を持っており、受動的に生きてきたハンスにとって今まで出会ったことのないタイプの人間でした。
正反対の二人は、最初こそ仲良くありませんでしたが、やがて大親友になっていきます。
互いに持っていないモノに強く惹かれる多感な時期というのは、国境を超えて普遍的なんでしょう。
ハイルナーと関わることにより、世界の広がりを知ったハンスは、どんどん成績を落としていきます。
この辺りはまさに優等生が不良とつるんで怒られる典型的なお話でもあります。
途中、校長先生に呼び出しをくらったハンスは二人で話をするのですが、そこでタイトル回収もありましたので一部引用させて頂きます。
うん、これでよし。へたばらないようにするんだよ、さもないと車輪の下に圧しつぶされてしまうよ
(車輪の下より)
ハンスの心は、競争から抜けた安堵感と焦り、ハイルナーから受ける刺激、父親含め様々な大人から受けてきた抑圧のせいで、精神が不安定になっていきました。
この多感で揺れやすい時期にこれだけの圧を受け続けていたら、そうなってしまうのも仕方ないのかもしれません。
さらにハンスの受動的な性格もありますから。でもこのようなハンスの展開って、よく考えたら現在でも普通に存在しているケースですよね。
途中でハイルナーは退学し、やがてハンスも学業どころではない程に精神崩壊し、退学になりました。
【退学後編】
退学したハンスは、実家に帰省しました。父親もハンスのあまりの疲弊具合に、どう扱ってよいのかわからずに腫れ物扱いすることに。
ハンスは幸せだった頃、無知だった頃の幼少期の思い出の場所に浸るため、様々な場所に足を運びます。
しかしもうあの頃には、戻れないと知り、自殺の手前まで気持ちを固めていました。
そんなハンスにも恋の季節が訪れ、展開は変わっていきます。
エンマという娘に恋したハンスの世界は、今までとは違った色に変わっていきました。
塞ぎ込んだハンスの精神は快復をみせ、機械工場での職にもつきました。
まさに落ちぶれた元秀才が、真逆の世界の職業につく感じですよね。
当然、ハンスは苦労しましすが、何とか仲間とも打ち解け、週末に飲み歩くことに。
酔いに酔っ払ったハンスは、帰り道に溺れて死んでしまい、物語は幕を閉じました…
まとめ
終盤の解釈は、それぞれ考察の余地も含めて色々あると思うのですが、ヘッセは自伝的な体験を踏まえてこの物語を書き、何を伝えたかったんですかね。
そもそも最後は自殺なのか、事故なのか。酒屋の女性はエンマなのか?など。
まぁそこはどっちでもいいんでしょう。笑
それよりも大人の抑圧や、多感な時期を迎える子どもたちに悪影響の教育者たち、個性の許容、思春期特有の精神世界、失望、絶望……
個人的に読みながら強く感じたのは、ハンスの世界に対する諦念ですよね。
精神が衰弱しているからこそのという考え方もできるのですが、ハンスはとにかく受動的でありながら言い方を変えると、感受性豊かとも言えます。
「そういう人間がこの世界にもいて、とにかく生きていくのが大変なんですよ」ということを伝えたかったのかもしれませんね。
ある意味、ハンスは社会という車に乗れず、その下で轢き殺されてしまった…のかもしれませんね。
情報社会になり、この頃よりも多様な生き方への理解は広がってはいるものの、まだまだ完全とは程遠い世界です。
むしろ文明発展による生き辛さは、より強くなってしまっているのかもしれません。
それでは今日はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました。
皆さまも体調にはお気をつけて…
翻訳は「井上正蔵」さんです。