あらすじ
見知らぬ女がやすやすと体を開く奇怪な街。空襲で両親を失いこの街に流れついた女学校出の娼婦あけみと汽船会社の社員元木との交わりをとおし、肉体という確かなものと精神という不確かなものとの相関をさぐった『原色の街』。散文としての処女作『薔薇販売人』、芥川賞受賞の『驟雨』など全5編。性を通じて、人間の生を追究した吉行文学の出発点をつぶさにつたえる初期傑作集。
(新潮社より)
感想・レビュー
第31回芥川龍之介賞受賞作「驟雨」
「原色の街」「驟雨」「薔薇販売人」「夏の休暇」「漂う部屋」の5編が収録。
吉行淳之介は初めて読みますね。
まず全編を読んだ所感としては、それぞれの作品に色があって、良いものと少し物足りない部分もあって、でも描いた箇所、捉えたものは良いものを感じていて、うーん、全体的に評価が難しいんですけど、○△✕で表すなら【文学】として考えた時に○かなぁと思えました。
では何故全体的な判断として難しいのか、自分なりに考えてみたのですけど、芥川賞を受賞した「驟雨」が短いけど良いもの書いてるし、上手いんですけど、やっぱり微妙に薄いんですよね。
一応確認しておこうと、当時の選評も読んだのですが、やはり皆さんも過去の候補作とかと比較して、迷った末に技術的な評価だったりで推したようで。
どこか推してるようで、強く推しきれていないような雰囲気も感じました。
個人的には吉行淳之介の処女作である「薔薇販売人」と「原色の街」は、とても心に残りました。
作品によって題材も違いますし、ぼちぼちと感想を書いていきたいと思います。
「原色の街」
主に戦後の娼婦の街で生きる女を描いたお話。
この当時の日本は、戦後でアメリカの支配が強まり、それは公娼制度も影響を受けていて、その変化の中で中級家庭の女・あけみが両親を戦争で失い、生きる為にこの世界に飛び込んだ。
娼婦といっても色々な目的で、色々な女がいて、あけみは他者と自分を比較しながら、日々を過ごすのですが、とある日に出会った一人の男に分かりやすく言うと惚れる。
この辺りの流れなんかを読んでいて感じたのは、性欲、肉欲という世界は、時代が変わっても変わらないものなんだなぁと思いました。
日々、見知らぬ男との交渉を続け、心が閉じてしまったあけみは、「まさかそんな」と、悶々としますが、心とは裏腹に体は彼を求めているという内面を描かれていました。
そしてもう一つの視点が同時にありまして、それがあけみが惚れた男側。
彼は今で言うところの恋愛が出来ない典型的な独身男。見合いで一人の女と結婚することになるが、一切心はときめいていないし、あけみに対しても女としてというより、人間を図るような、試すような仕草を見せます。
あけみはあけみで、他の男に求婚を求められ、何度かのターンを挟み、やがて了承する。しかし蓋を開けてみれば求婚を求めた男は、あけみの娼婦としての色を消そうと必死だった。
あけみはここでも失望を覚え、より一層あの男を求めはじます。
詳細は省きますが、最終的に二人は結ばれません。
それどころか、最後は男に嫉妬したあけみが、男の婚約女がいる船で、男に体当たりし、二人とも海に投げ出されるというエンタメ展開に。笑
引き上げられた二人は無事でしたが、ただここで船にいる誰かが「二人は兄妹のように顔が似ている」と言います。
これは面白い皮肉だなぁと思いました。
ここからは私の個人的な考え方ですが、つまり二人は生きてきた境遇も生きている場所も性格も違うし、互いが互いに求めたものに答えられず、失望しあったけれど、己でも気づかない互いを求める【幻想、色】といった最終地点は、同じだったのかもしれない、と思いました。
結果、あけみは娼婦に戻る。
うーん、何なんですかね、肉欲と精神のズレが何とも愚かで、でも人間としての普遍的なモノを描いていて、多少の粗さも感じましたけど、面白かったです。
風俗というか、この時の公娼制度は、おそらく現代も影響は受けていると思います。
過去に幾つか戦後のアメリカ支配を受け始めた時期の本を読みましたが、仕事、教育、男女関係など、現代に通づる考えが今を生きる私にとっては当たり前の感覚であったので、やはりそうなんだと思います。
「驟雨」
芥川賞受賞作。
これも娼婦を扱った作品でした。原色の街と似ているというか、凄い似てるんですよね。
大きく纏めると「娼婦」に幻想を抱いた男が最終的に「嫉妬」した姿が描かれているんですよ。まぁそれだったら原色の街で充分じゃないかと個人的には思えました。
確かに原色の街に比べても無駄がないし、隙もないけど、原色の街にあったユーモラス、街の雰囲気だったり、人々だったりという風俗があまりなく、余白がないので、シンプルに小説として弱いと感じてしまいました。
「薔薇販売人」
これは良かったです!
読み終わってから処女作だと知ったときは、少し驚きました。
個人的には一番良かったと思います。
なんか志賀直哉の短編を読んだときのような、感覚になりました。
薔薇を売りつける青年が婦人に惚れ、その恋心に気づいた婦人の旦那にあいつは「淫らな女」だと青年に言う。
だが青年はより婦人に想いを募らせ、ある日をきっかけに、婦人にせまる。
しかし、、と説明が難しいのですが、これは青年と婦人、そして婦人の旦那の深層心理を描き、かつ男女関係の心理戦のようなものを描いていて、最後に青年は自分の心の正体を知るという、如何にも文学的な作品にも思えました。
この作品は言葉にするより、是非とも読んで体感して欲しい作品ですね。
「夏の休暇」
こここらがらっと作風が変わります。
一人が好きな小学5年生の子供が主人公。夏休みに入った子供は母を家に残して、父とともに島へ行くことに。
だがなぜか船旅には、子供の知らない若い女が加わり、父とは何やら知り合いの模様。
島に着いた3人は、山に登ったり、最後は海に行ったりする。
この時、子供は若い女の色気に無意識的な性を覚え、人生で初めて【勃起】しました。
と、自分でも何書いてるかよくわからなくなってきたのですが、本当に意味はわからなかったんですよ。笑
子から見る父を描きたかったのか、性の目覚めを描きたかったのか、そもそもあの若い女は、父にとってなん(不倫相手?)だったのか?など。
最後は子供が父が海に行って溺れるかもしれない、と恐怖し、どこかで安堵を覚えるみたいな終わり方で、やはり難しい、というか正直なところ、ただ筆を走らせただけで、何も考えてないのではないだろうか。笑
そのせいか、気楽に読めたんですけどね。
「漂う部屋」
この作品もよかったです。
結核の短期入院患者として病院にいる「私」を中心に描かれています。
同じく内科から移ってきて、長く入院しなければならない青山。
赤いスカートばかり履くアキ子。など他にも多くの者がここで入院生活を送っています。
まぁざっくりと要約すると、短期入院の患者はまだ社会復帰の目途が立ちますが、長期入院患者は会社もクビになったり、その後の生活の保障もままならない。
「私」はそれを病院で俯瞰的に捉え、世間から浮かんで漂うような錯覚を覚えます。
結果的に「私」と青山やアキ子も手術を受け、皆が無事を迎える。が私はまだどこか漂っていると、という終わり方で。
道中の恋愛模様や、患者同士の会話、「私」の内面描写など面白く読めました。
まとめ
ちょっと想定より長くなってしまったので、手短に。
全体的に男女関係を描いた作品が多く、まぁ言ってしまえば王道な路線なのですが、それなりに楽しめたかなと思います。
個人的には薔薇販売人が読めただけでも大きな収穫となりました。
それでは今日はここまで。お疲れ様でした。