あらすじ
寺が寝静まる。私は金閣に一人になる。
吃音の悩み、身も心も奪われた金閣の美しさ――昭和25年の金閣寺焼失事件を題材として、放火犯である若い学僧の破滅に至る過程を抉る問題作。
一九五〇年七月一日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。
(新潮社より)
感想・レビュー
第8回読売文学賞受賞作品
本作は1950年(昭和25年)7月2日未明に起きた【金閣寺放火事件】という実際の事件をモデルにして書かれていました。
三島由紀夫は、かなり久しぶりになりますね。
前回は読んだのは確か、「潮騒」だったかと思いますが、今回は「金閣寺」。
まだ未読だったので、いつか早く読みたいなぁとぼんやりと思っていました。
読了時は、ちょうど外に出掛けていて、早く読んだ所感を書きたくてうずうずしていたくらいです。
そうなる時は良作に出会えた時で、まさに傑作に近いものを感じました。
わかりやすく言うと、凄いのめり込んだ。
三島由紀夫の作品を、私は多く読めている訳ではありません。その理由に私にとって三島由紀夫は、数多の文学者、小説家に過ぎなかったから。
それでも三島由紀夫vs東大全共闘の映画を観たり、自分の中では、贔屓している方だと思っていました。
今言いたいのは、そんな事はどうでもよくって、シンプルに「金閣寺」が面白かった。
吃りの主人公である溝口の内面を掘り下げる過程と、金閣寺が燃えるまでの緊張感が面白すぎます。
善と悪の二面性。狂気と虚無。美と嫉妬。認識と行動。
周囲の登場人物たちも魅力的というか機能的で、主人公の溝口と関わることで、溝口が徐々に変化していくのが手に取るようわかるのも良かったです。
三島の文章について
あと何をいっても文章。
私は今まで三島作品を読んだときの印象は、回りくどい比喩が多いなとか、論理的に組み立てられた文章は読めなくもないけど、そこまで楽しいものではないなとか、美しさや何となくの凄さは感じるけれど、完全なる理解は出来ていないという印象でした。
私は文学なら志賀直哉や川端康成のような文章が好きで、あと太宰や谷崎のような文章とかも好きなタイプの人間なのです。本来は。
そもそも文章は、人それぞれ好きな文章があったり、相性とかの問題もあるので、一概にこうだとは言えませんが、どうやら私にとってはただの勉強不足だったようです。
といいますのも、金閣寺を読むまでに三島作品を読んだのは何百冊も前。
それまでに色々な小説を読み続けてきたせいか、文章を読む力が自然とついたせいもあるのか、己の精神的なことも関与しているのか、確かなことはわかりませんが三島の文章がめっちゃ面白いことに恥ずかしながら気がついたのです。
読んでいて、極限までの現象を避けた比喩表現や行間の使い方に「あれ、これは、、」と高揚するような感情が、文学で久しぶり湧き上がってきました。
潮騒の時のようなロマンチックな詩的さも良いのですが、私は今回のユーモラスもある表現がとても好きでした。
私が今回気になったというか、良いなこれ、と思ったのが漢字の音読みと訓読みの使い方。
作中で、読み手に意識させたいポイントがくれば、三島は敢えて、珍しい読み方をさせるんですよ。ルビを降ってでも。
これによって緊迫した場面などでは、言葉の意味がちゃんと認識させられ、より強固な文章として読者の脳に入ってきます。その結果、臨場感が倍増するんですよね。
上手いなぁと思いました。
何を今更とお思いになるのかもしれませんが、私にとってはとても嬉しい発見でした。
確かに、こういう物語だけではなく、文章的なロジックが三島ファンを増やしているのか、と一人でに納得しました。
まぁこれは私の独自な勝手な解釈なので、あまり真に受けて欲しくないのですが、私は素直に言葉という効果的な使い方に感心しました。
過去に三島の肉声インタビューなどを聞いたことがあるのですが、よく三島は言葉を構築物として扱い、物語を組み立てていく、字引きを飲むしかないね、などと典型的な文学少年のような思考を持っていたことを思い出しました。
実際の金閣寺放火事件について
読了後、色々と実際の事件が気になって調べてみると、内容は殆どフィクションという感じで、三島なりの事件の解釈と捉える方が良いみたいです。
主人公の溝口も、実際の犯人の林承賢、21歳(本名・林養賢)とは少し違います。通っていた大谷大学などは同じです。
色々と違いはありましたが、金閣寺が燃えた、という結末だけは同じです。
林本人の供述によると、当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、怖くなり、寺裏の左大文字山に逃げたそうで、ここは作中と同じなのですが、作中では短刀と睡眠薬を山に捨てて終わるのです。
ですが実際は、胸を短刀で突き、カルモチン(睡眠薬)自殺を図りましたが、果たせずにいたところを逮捕されたらしいです。
その後、林は懲役7年の判決を言い渡されますが、1955年10月に恩赦で出所します。再建された金閣寺から20日後のこと。そして半年後に、肺結核で26年の生涯を終えたそうです。
母親も当時の林に何度も面会をしに行ったそうですが、本人はそれを拒否。帰りの電車で実弟が目を離した一瞬の隙に、飛び降りて自殺したそうです。
ここはあまりにも悲劇的すぎて、言葉を失いました。
当時の鹿苑寺(金閣寺)も、写真を拝見しましたが、現在のようなピカピカと眩しい金閣寺ではなく、金箔が剥げ落ちた簡素なものだったみたいです。
実際に当時の警察の調べに対し、林承賢はこんな言葉も残していたみたいです。
「美に対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった」
これをあまりにも利己的な狂人の発言と捉えるのか、この時代の社会性として捉えるのかは人によって違うそうで、過去にこの事件を扱った本は幾冊か発行されたようです。
話変わりますが、京都には何度か足を運んだこともありますが、私は金閣寺には行ったことがなく、いつか是非とも行ってみたいなと思いました。
作中に出てくる丹後由良は、高校生の時の夏休みに、友達の別荘にお邪魔したことがあって、海で遊んだ懐かしい記憶が残っています。
あと三島由紀夫の作品で、一人称告白体で書かれたのは、金閣寺と仮面の告白のみだそうです。
今日はこの辺で終わりたいと思います。
長い文章にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
お疲れ様です。失礼します。